日本語版への前書き

元日本国首相
福田康夫

2016年1月

 本著の原型となったウィーン宗教間対話を提唱されたヘルムート・シュミット元ドイツ首相が、2015年11月10日に逝去されました。同首相の国葬は、11月23日、ハンブルクの聖ミカエル教会で厳かに執り行われました。私は、アンジェラ・メルケル首相、ハンブルク市長、ヘンリー・キッシンジャー元米国国務長官の弔辞と、ケント・ナガノ氏が指揮するハンブルク交響楽団演奏のバッハを感慨を持って聴きながら、シュミット氏が本書(原文は英語)の出版を強く望まれたこと、それが七カ国語に翻訳されることを楽しみにしておられたことを、思い起こしました。そして何よりも父福田赳夫への長年の友情に改めて感謝したのです。

 父、福田赳夫がシュミット首相たちとインターアクション・カウンシル(IAC)、通称OBサミットを創設したのは1983年でした。当時の世界は冷戦の頂点にあり、経済は二度の石油危機と通貨不安に襲われていました。OBサミットは世界平和、経済の活性化、人口・環境・倫理等、地球規模の諸問題に長期的焦点をあて、世界の元指導者たちの経験と叡智を結集して政策提言を打ち出すという壮大な事業でした。

 シュミット首相は、福田赳夫の「心と心」を誰よりも理解してくれました。OBサミットを創設してまもなく、福田赳夫とシュミット首相は、世界の主要宗教指導者と政治家との対話を開始し、幾たびか議論を重ねてきました。両氏は宗教が世界の多くの問題解決に寄与できること、だがその半面ときには深刻な問題にもなり得ることを熟知していたのです。以来、いくつかの優れた宣言が打ち出されてきましたが、2013年にシュミット首相が、しばらく中断していた宗教間対話をもう一度と提案されました。躊躇する他の指導部を押し切って、私と故フレーザー首相とで、2014年3月にウィーンで開催した宗教間対話が本書の元となっています。それは中東でISが誕生を宣言する前でしたが、シュミット首相はあたかも今日、世界中で発生しているテロ事件や戦争をまさに予想していたようです。

 対話とそれを通じた相互理解と寛容の重要性も、連続するテロ事件を前にして、無意味とするむきもあることでしょう。しかし、例えISが武力で抑えられ、テロの巣屈が根絶されても、相互理解と寛容の精神がなければ、他の形で問題は繰り返されるでしょう。歴史観と世界観にしっかりと支えられた普遍的倫理規範と相互理解・寛容の精神の重要性を私たちに教えてくれたのがシュミット首相でした。私はハンブルクの葬儀でそれらのことを再確認し、難題多き国際関係の解決に向けた糸口を掴む機会が早く訪れることを念じました。

 2015年にはOBサミットに深く関わられた重要人物が去られました。フォン・ヴァイゼッカー元ドイツ大統領(2月没)、本書の共同著者オーストラリアのフレーザー首相(3月没)、そしてシュミット首相と続きました。また、長年事務総長として会議を取り仕切って下さった宮崎勇元経済企画庁長官も新年早々逝去されました。本書は、混沌とした世界情勢の中で、先達の理念と思いを後世に引き継ぐための試みです。

 本書出版にあたっては、OBサミット創設時から事務局で中心的に尽くしてくれた渥美桂子さんに全面的にお世話になりました。ウィーン会議の企画・運営から原本を英文で監修し、他の言語訳の調整、そしてこの邦訳と一貫して貢献してくれました。彼女と他のボランティア諸氏に謝意を表します。また最後に30年以上に亘ってOBサミットの理念を理解し、支援を惜しまなかった外務省のヴィジョンに心から深謝いたします。


前書き

元西ドイツ首相
ヘルムート・シュミット
  
2014年12月 
 
 私は1980年代前半、インターアクション・カウンシ ル(OBサミット)の創設者、故福田赳夫元首相からある 相談を受けました。長期的な地球・人類問題と対処するた めの前・元政治指導者のグループを創設したいということ でした。私は何の躊躇もなく賛成しました。それは、私た ちがそれまでに、各々の政府代表として議論や交渉を重ね た良き友人であり、世界観や懸念を共有しているとわかり 合えていたからです。OBサミットが創設されたのは、 1983年でした。以降30年以上の年月、約30名の 前・元首脳たちが五大陸の首府や都市に毎年集合し、政 治・地政学、経済・金融、環境・開発分野等のグローバルかつ長期的な多くの問題を議論してきました。
 しかし福田赳夫氏は、政治指導者のみの議論には満足されなかったのです。世界の諸問題のほとんどの原因が人間 の心にあることを理解していた彼は、宗教指導者と政治指 導者間の対話を模索していました。政治指導者も、数千年 に及ぶ英知と伝統を代表する宗教指導者たちから学ぶ必要 があると考えていたのだと思います。私は、彼の願望を「何と典型的な福田思考か」と感心しました。それは「心 と心」の対話が彼の政治的な信念だったからです。「心と 心」は彼にとって、公私ともに交渉相手に対する誠意、正 直、理解、寛容、容認を意味していたのです。政治的には ナイーブとも言えるでしょうが、彼は世界を一層公正で平和にするためにこの姿勢で貢献したいと望んでいたのです。 
 
 最初の政治指導者と宗教指導者間の対話は、1987年 にローマのチビルタ・カトリカで開催されました。仏教、 カトリック、ヒンドゥー教、イスラム教、ユダヤ教、プロ テスタントの指導者たちが、無神論者も交えて、保守系、 社会民主主義者、リベラル派、共産主義者、独裁政権、民主主義政権を代表する政治家たちとの歴史上初めての対話 に集合しました。 
 それは冷戦が頂点に達した時期であり、宗教を巻き込ん だ戦争は未だ限定的でした。全ての参加者は、「人類は、 長期的諸問題の挑戦と真摯に向き合わなければ、将来を極 めて困難なものにしてしまう状況にあり、宗教界と政界の 指導者たちが実現可能な解決策を模索し協力しあうことが 不可欠である。」と合意しました。私は、家族計画に関し てすら合意が得られたことに驚きました。こうした広範な 合意が、私たちに宗教間対話を継続させることを決意させ たのです。OBサミットは以降、10回以上こうした宗教間対話を開催しました。幸運にもチュービンゲン大学名誉 教授で、グローバル倫理財団の創設者、ハンス・キュング 博士が顧問として中心的役割を担ってくれました。その 後、世界中に同様の宗教間対話の場が生まれ、開催されて います。
 私の人生の終着点が近づいており、世界中で宗教がらみ の紛争が増大しているなか、私はもう一度だけこうした宗 教間対話に参加したいという願望をここ数年間抱いてきま した。OBサミットが誕生したオーストリアのウィーンで、その願望が2014年3月に実現されたことを私は嬉しく 思いました。またOBサミットが、その機会に私の九五歳 を祝福してくれたことにも感動しました。そして何よりも 喜ばしいのは、そのときの議論がこうして書籍になったこ とです。
 
 福田赳夫氏と私自身にとって極めて重要で長期的な懸念 事項は、人口増と有限な天然資源の関係でした。1900 年、世界人口は16億人でした。それが20世紀中に4倍増し、今日では70億人を越えています。たった1世紀の 間に人口が4倍も増したことは、歴史上かつてなかったの です。21世紀半ばには、90億人以上に達すると予測さ れています。そのうち大多数は都市に居住することを余儀 なくされるでしょう 
 この21世紀に入ってからの自然災害の先例なき規模や 頻度は、地球が悲鳴をあげているのでしょうか? 深刻な 質問は、「この地球は90億人を支えきれるのか?」です。 食料や水といった生存のための基本的必需品すら手に入ら ない人々が数十億人も存在する世界で、いかにして公正で 平和な社会など望み得るのでしょうか。これは、深遠で困難な問題であり、私には答えはありません。
 ウィーン会議では、この問題も含めて他のいくつかの課 題にも明確な合意には達しませんでしたが、私には、宗教 指導者たちからの極めて重要なメッセージがこだましたの です。それは、「他人や社会を変え得ることは、公正で平 和な世界のために責任感と不屈の努力を通じて自己改善で きる人々にしかできない。そして世界の主要宗教の全てに 共通したグローバル倫理を遵守することで、私たちは目標 に一歩一歩、一日一日近づけるのだ。」という静かな主張 でした。
 これは、私にウィーン生まれの哲学者カール・ポパーの『知的自伝』からの次の言葉を彷彿させました。
  「私たちの子供たちも理論も、究極には全ての作品も、 ほぼ全てがその製作者から独立してしまう。私たちは、子 供や理論に与えたもの以上の知識を得るだろう。それが無 知の泥沼から私たち自身を向上させ得るのである。」 


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