ローマ宣言
―平和・開発・人口・環境の相互関連問題に関する宗教指導者と政治指導者の会議
 
ラ・チビルタ・カトリカ(イタリア、ローマ)
1987年3月9・10日
 

「ローマ宣言」のための序文

 

インターアクション・カウンシル名誉議長
福田赳夫
 

 長年、私の最大の関心事項は世界が直面する困難な状況でした。今日でもそうです。世界には政治、軍事、環境など、どの角度から見ても問題が山積しています。さらに人口、開発は環境などを含め、私たちを取り巻いている自然の環境も、これまでも例を見ないほどの危機的状況にあります。これら危険な状態の解決に失敗すると、人類には全く何の未来も残されないでしょう。私たちがもし後世に不安のない世界を望むのなら、これらの問題解決のために私たちは不屈の、断固とした努力を払わなければなりません。

 私はまず、このような認識のもとに1983年、各国、各政府からの25人以上の元指導者達と共に、これらの問題をいかに解決し、確信をもって行動するかを話し合うためにもインターアクション・カウンシル(OBサミット)を招請しました。現職の指導者達も、これらの問題を認識しておりますが、直面する日常業務に追われ、それぞれの国家利益によって束縛されています。豊富な経験に基づく英知あるかつての指導者達が、その英知を人類のために提供できるはずだと考えたのです。インターアクション・カウンシルはこれまでに5回の総会と専門研究グループによる数多くの会議を行い、世界に有意義な影響を与えてきております。

 しかし、私の考えはさらに広がりました。私は長い間、世界平和と人類の幸福には、宗教家も政治家も同等に関わっていると感じておりました。政治と宗教界の指導者たちが一堂に会し、双方が関心を持つ諸問題を語り合うのは重要なことではないだろうかと。これに宗教界も同感して下さり、私は一定の共通認識に達せられるという感触を得ました。結局のところ、人類存在の重要さは普遍的問題だからです。

 そこで、インターアクション・カウンシルのメンバー数人と五大宗教の指導者が、1987年の春、ローマで会談しました。そこで、世界の現状からみて、今私たちが直面するこの挑戦を受けて立ち、何らかの解決方途を探らなければ人類に未来は無く、また政治と宗教の指導者による共同の努力で問題のいくつかを解決する余地がある、という合意が得られました。これまで通常は分裂し、あるいは対立的見解さえ持つとみられた各グループの代表が、世界の直面する基本的な困難に関して、広範な合意に達したことを確認できたことは、私にとってこの上もない喜びでした。

 ローマで得た合意は私たちの努力をさらに継続するよう勇気づけるものです。会議は人類史上前例がない成果をあげ、非常に価値のあるものでした。心と心の話し合いを求める継続的な努力は、連帯活動をもたらすことを私は信じております。私は自分のこの信念をこの目で確認できたことを大変嬉しく思うとともに、心からの感謝をささげる次第です。


インターアクション・カウンシル議長
ヘルムート・シュミット


 1970年代半ば、アンワール・アル・サダトとの会見で強烈な印象を受けて以来、またとくにその後彼について思い起こすにつれ、世界の文化的領域における宗教的、哲学的、倫理的な接触と対応についての私の好奇心は以前にも増して大きなものになりました。相互理解なくして平和に奉仕することは困難なのです。しかし、パレスチナであろうと、また世界のどこであろうと、「永久の平和」(エマニュエル・カントが提唱したような)という考えが実現すると想像するのは困難です。むろん多くの人はこの目標の道徳的価値を認めてはいます。それにもかかわらず、歴史を顧みれば、国際連盟や国際連合、さらには大国間の一層強力なカルテルがあっても、過去同様、将来も武力で解決されるような紛争が起きる可能性は高いということが推論できるでしょう。

 しかし、次のような考えも正しいでしょう。つまり紛争が国際的な武力の使用に達する前に、紛争の緩和と和解に間に合わせる時期や機会が早ければ早いほど、戦争を回避する希望は増大するということです。そして、逆もまた正しいのです。つまり宗教的、民族的、人種的、イデオロギー的急進主義や原理主義に頼れば頼るほど、相互理解は困難になり、武力使用と戦争の可能性は多くなるということです。

 宗教と政治指導者がローマで一堂に会したのは、まさにお互いに意見を聞こうという願望のためでした。私たちはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教、ヒンドゥー教、仏教あるいは宗教の自由思想家としてだけで集会したのではなく、民主主義者、共産主義者、保守派、進歩派としても出席しました。私たちは、全く異なる独裁政権あるいは全く異なる民主政権から、また地球上の全五大陸からやってきた、黒色、茶色、黄色の有色人種や白人でした。このような多くの相違点を乗り越えてお互いを理解したのみならず、非常に重大な問題についての合意さえみたのです。

 平和への願いについて合意するのは、宗教および政治指導者にとってさえ難しいことなのです。同様に、これまでのところ減少させることのできなかった世界の人口爆発は、数世代後の数十億の人々にとっては相当の経済的困難を意味することになるのです。さらに、その莫大なエネルギー消費は必ずここ数十年以内に大気圏の化学的構成を変え、その結果さらに多くの人々に取り返しのつかない事態をもたらす「温室効果」を生むことを認識するのは、比較的たやすいようにみえます。しかし、私たちの日常生活の中で世界の人口増加を押し止め、数十億組もの夫婦を家族計画に向かわせるのは極めて困難なことなのです。

 世界中から集まった五大宗教の聖職者達が、政治家とともに家族計画の重要性を認めたことは素晴らしい前進です。ほかの多くの指導者達にもこの重大さに気づいてもらわなければなりません。

 犠牲は一方的なものではありません。与えることは得ることです。20世紀末期における人類に対する脅威は団結によってのみ回避されうるのです。


世界的な諸問題に関する声明


序論

 近代史上初めて、インターアクション・カウンシルの招請により世界五大陸の政治指導者と五大宗教の指導者がローマで会談した。二日間にわたり出席者は世界平和、国際経済および相互に関連する開発、人口、環境問題について話し合った。

 指導者達は人類が歴史上最大の危機に直面しており、しかもその問題解決のための適切な手段は明示されておらず、工夫もされていないとの合意をみた。これらの危機による挑戦に対する有効で的確な方法がないかぎり、恒久的な未来はないだろう。

 これらの問題と取り組むにあたって、指導者達はさらに、道徳的価値、平和と人類の幸福に対する共通の忠誠を背景に、宗教と政治の指導者達が協力し得る多くの分野があると合意した。

 この最初の意見交換の結果、現在の危機に対する認識や評価についても、また広範に共有する倫理的基盤に基づき行動する必要性の認識についても、めざましい一致をみた。

 ローマで会談した指導者たちは、このような機会はインターアクション・カウンシルやその他の機関が、国際的・地域的レベルで政治、学術、科学のリーダーを含めて継続すべきであり、マスコミの支持を得て政策決定過程に影響を与えるべきと合意した。


平和

 第二次世界大戦後の今日、世界は一日として戦争、紛争、貧困、広範囲に及ぶ人間性の堕落と環境の悪化などから逃れられず、平和の真の意味を見失っている。参加者全員はその共有する倫理的原則に照らして、真の平和は対話と受容力のある理解が、全ての社会的領域と国際的接触の分野にたえず浸透していく過程を通してのみ達成されるとの結論に至った。

 その結果、出席者全員が軍縮への努力を歓迎した。米国とソ連は戦略兵器の水準引き下げ協定を遵守し、さらにそれ以上に軍縮交渉を継続すべきである。中国やアルゼンチンのような国における軍事予算削減政策などの政治は前進への見本を示すものである。

 現在軍備競争に向けられている科学的、技術的資源と能力は、人類の生存と幸福を脅かしている全世界的な問題を解決するために使われるべきである。すなわち、エネルギー、新しい輸送システム、切迫しつつある気象変化の作用を緩和する技術の開発、オゾン層減少の調査推進、生物の継続的減少の防止、生物圏への脅威に対抗する手段などである。


世界経済

 道徳的、政治的、経済的理由から、人類は地球上のいたるところで多数の人を苦しめている現在のおそろしい貧困を逆転させ、より公正な経済構造を目指す努力をしなければならない。この転換は、工業国の側では啓発された自己利益、開発途上国の側では相互扶助的な政策にそれぞれ基づく一連の決断と対話を通してのみもたらされる。

 不穏な結果をもたらす債務危機は緊急に解決されるべきである。債務利払いがその国の経済を窒息させるようなことがあってはならず、また、いかなる政府も国民に対し人間の品位を奪うような窮乏を要求することは道徳的に許されない。全ての関係者は、実のある貢献を実行し、困難を分かち合うという道徳的基本を遵守すべきである。

 緊急援助計画は、今日みじめな貧困に耐えている多数の人々や共同体の生存を守るには欠かせない。生存するためには全地球的規模での連帯責任感を育むことが何にもまして必要である。


開発、人口、環境

 今後の家族にとっての道徳的価値と、男女に共通の責任を認めることが、この諸問題を扱うためには不可欠であることが強調された。開発途上国の多くで見られる急激な人口増加は開発を妨げている。それが未開発、人口増加、人間生活を維持するシステムの崩壊という悪循環に拍車をかけている。有効な公共政策には、人口、環境、経済動向とそれらの相互作用に特に注意を払った組織的な見通しが求められる。

 家族計画政策と手段に対する各宗派のアプローチの違いを認識しながらも、指導者達は、現在の動向からみて効果的な家族計画の追求を避けられない、との合意に達した。いくつかの国と宗派で持たれた積極的な経験は共有されるべきであり、家族計画のための科学的研究が急がれる必要がある。



会議出席者リスト


インターアクション・カウンシル・メンバー

福田赳夫(名誉議長、元日本国首相)

ヘルムート・シュミット(議長、元西ドイツ首相)

イェノ・フォック(元ハンガリー首相)

マルコム・フレーザー(元オーストラリア首相)

オルセグン・オバサンジョ(元ナイジェリア大統領)

ミサイル・パストラナ・ボレロ(元コロンビア大統領)

マリア・デ・ローデス・ピンタシルゴ(元ポルトガル首相)

ブラッドフォード・モース(元UNDP事務局長)


宗教指導者

A・T・アリヤラトネ(スリランカ、仏教)

K・H・ハッサン・バスリ(インドネシア、イスラム教)

ジョン・B・コッブ(米国、キリスト教メソジスト派)

フランツ・ケーニッヒ(オーストリア、カトリック枢機卿)

リ・ショウパオ(中国、プロテスタント)

カラン・シン(インド、ヒンドゥー教)

エリオ・トアフ(イタリア、ユダヤ教)


環境専門家

レスター・ブラウン(ワールドウォッチ・インスティテュート)


普遍的倫理基準の探求
―「普遍的倫理基準の探求」に関する専門家会議報告書


議長 ヘルムート・シュミット
オーストリア、ウィーン
1996年3月22ー24日


はじめに

1.人類の文明が二一世紀に向かうにつれて、世界は少なくとも産業革命に匹敵する深遠かつ広遠な変革の時代に突入している。世界経済のグローバル化は、諸問題│人口、環境、開発、失業、安全保障、道徳・文化的衰退等│のグローバル化をもたらした。人類は正義と物事に意義を見出すことを切に願っている。


2.技術と応用科学の物理的変化は、それに応える諸機関の能力をはるかに越えている。国家はいまでも集団的意思を具体的行動に移す主な手段ではあるが、国家主権という概念は世界のどこでも包囲されている。有名な表現を復唱すると「国家は大きな問題に対しては小さすぎ、小さな問題に対しては大きすぎる」のである。多国籍企業は、世界貿易と投資が拡大するにつれて前例のない機会を享受しているが、その経営者たちは現在人権という不慣れな領域における企業責任という苦しい設問に直面している。宗教界は依然として数億人にものぼる人々の忠誠を集めているが、世俗主義や消費主義がそれ以上に支持されている。世界はまた、宗教の名のもとに唱道され実践されている宗教過激主義や暴力に苦しんでいる。これに関して、「原理主義」という言語の使用は誤称である。というのも、信者はどこでも彼らの信仰原理を深く信じているが、暴力を否定し、彼らの信条を広げるための力の行使を拒否しているからである。世界は絶え間なく変化している。我々はどこに向かうべきなのだろうか。


具体的な改善策

3.倫理基準の普及を推進するためには主権国家がいまだに変化の中心的原動力であることを、インターアクション・カウンシルは認識している。主権国家が主要な対象であることを認識した上で、電子マスメディアと世界的な舞台でますますその力を発揮している多国籍企業の役割にも十分な関心を寄せるべきである。


4.普遍的な倫理の推進をある程度成功させるためには、信仰体系やその影響範囲が異なる多様な世界的宗教が、主権国家や関連諸機関を説得するために密接に協力しあうことが不可欠であり、決定的である。これは少なくとも二つの重要な機能を果たす。一方で、今日人類が直面する諸問題の緊急性や世界的危機と闘う上で、このような協力に務めることは、必要とされる倫理基準の役割について合意するために異なる宗教が実際に心を開いて語り合うことが可能であることを立証する。他方、世界のすべての宗教が普遍的な倫理基準を推進するために協調しつつ行動できるという事実は、このような基準を世界中に広める任務を容易にさせる。


5.世界の宗教指導者会議は、普遍的な倫理の理論的根拠の考え方を普及させることができる。このような会議は、とりわけ主権国家とその指導者達、教育機関、マスメディア(テレビ、ビデオなど)とともに自らの宗教団体に対し、あらゆる可能な手段を用いて普遍的倫理に関する合意を取り入れ、推進するよう具体的に勧告することができる。会議には必ず女性を含む宗教界の代表者が出席することを強調すべきである。現存の世界的宗教組織はこのような会議を推進し得る。


6.この宗教家グループによる提言は主に各主権国家における政府、教育、マスメディア、非政府・非営利団体、宗教団体の政策決定者に提出されるべきである。これらの機関は、直接的にも、間接的にも、世界の宗教に関連する基本的情報および提言に織り込まれる普遍的倫理基準の普及と啓蒙に関与しているからである。


7.世界は普遍的倫理基準の普及・推進のための具体的な行動計画について語り合うことを歓迎するだろう。こうした行動計画の要素には以下も含まれるべきである。

  • ・共通の倫理規定を作成し、小冊子に収め、世界中に配布すること。
  • ・この一般的な倫理規約に加えて、特定の職業別倫理規約を
  •  実業界、政党、マスメディアおよび他の重要な関係者に普及させること。
  •  こうした倫理規約は自己規律に貢献しよう。
  • ・「世界人権宣言」50周年記念にあたる1998年に、
  •   権利に関するこの重要な功績を補足する
  •  「人間の責任宣言」を議論するための会議を国連が主催すべきであることを、
  •   世界の指導者に進言すること。
  • ・世界の宗教および哲学の最良の貢献を含む
  •  世界教育カリキュラムを開発すること。
  •  このようなカリキュラムはあらゆる教育機関に提供されるべきであり、
  •  またインターネット、教育テレビ、ビデオ、ラジオなどの最新技術を通した
  •  アクセスを可能にすべきである。
  • ・このようなカリキュラムの開発に必要な知的資源を結集させ、
  •  これらへの理解を広めるためにも、国連は国連大学の一部として、
  •  学者、学生、世界の宗教指導者が一堂に会する
  •  「世界宗教アカデミー」の設立を考慮すべきこと。


普遍的な倫理基準の必要性

8.人類は社会的動物である、とアリストテレスは説いた。我々は社会に住み、相互に調和をとりつつ暮らさなければならないことから、人類には規則や拘束が必要である。倫理は、集団生活を可能にする最小共通の基準である。倫理や自己を律する心がなければ、結果として人類はジャングルに回帰してしまうだろう。未曽有の変化を経験している世界にあって、人類は立脚すべき倫理の基盤を大いに必要としているのである。


9.世界の宗教は、人類にとって英知の偉大なる伝統の一つである。はるか古代に起源を発する英知の宝庫が今日ほど必要とされる時はない。政治活動は価値や選択と関わりが深いので、倫理は政治や法律より優先されなければならない。倫理はしたがって我々の指導者を啓蒙し、鼓舞しなければならない。最良の教育とは、理解や寛容に対して人間が持つ潜在能力を切り開くものである。倫理や「正」と「悪」の教育をしなければ我々の学校は、いずれ不必要となる労働力を大量生産する単なる工場と化してしまう。マスコミは人の心や行動に影響を及ぼす最も強力な手段の一つである。しかし多くのマスメディアに見られる暴力、堕落、陳腐さは人類の精神を向上させるどころか汚染している。


10.このように変化する世界に対応するためには、各機関が倫理基準に再び専心することが必要である。世界の宗教および倫理の伝統の中にそのような専心の源を見出すことができる。そこには我々の民族、国家、社会、経済および宗教間の緊張を解決に導く精神的な力がある。世界の宗教の教義はそれぞれ異なるものの、すべてが基本的な基準を共有する倫理を唱道している。世界中の信仰を統一するものの方が分離するものよりはるかに大きい。すべての宗教が自己抑制、義務、責任そして分かち合いを美徳として唱えているのである。それぞれが人生の不可思議を考察し、全体に意味を与えている模範をそれぞれの方法で識別している。我々がグローバルな問題を解決するためには、共通の倫理基盤から始めなければならない。


普遍的な倫理の核心

11.今日人類は、より良い世界秩序を導入するに十分な経済、文化および精神的資源を有している。しかし、新旧さまざまな民族、国家、社会、経済および宗教間の緊張が、より良い世界を平和裡に構築することを脅かしている。このように劇的な世界状況にあって、人類は人々が共に平和裡に暮らせるビジョン、民族および倫理の組分けのビジョン、地球保護のための責任を分担する宗教としてのビジョン、つまり希望、目標、理想、価値基準のビジョンを必要としているのである。したがって、1993年にシカゴで開催された世界宗教会議が、我々も原則として支援する「普遍的倫理に向けての宣言」を発表したことに謝意を表する。


12.国連が「世界人権宣言」を採択したことから始まった国際法および司法に基づく人権強化は、顕著な進歩を遂げている。これはさらに「市民社会・政治的権利」および「社会・文化・経済的権利」の二つの人権誓約によって強化され、「人権と行動計画のためのウィーン宣言」によって推敲された。国連が権利の水準に関して宣言したものをシカゴ宣言は確認し、義務という視点から深化させた。それは人間に本来備わっている尊厳、奪うことのできないすべての人間の原則的平等と自由、すべての個人と社会全体にとっての連帯と相互依存の必要性である。また我々は次のことを確認している。すなわち、より良い世界秩序は法律、法規、条約のみによって創造あるいは強制されるものではないこと、権利と自由のための行動には責任感と義務感が伴うこと、そのためには男女双方の精神や心に呼びかけねばならないこと、義務を伴わない権利は永続せず、また普遍的な倫理なくしてより良い世界秩序はありえないこと、である。


13.普遍的倫理はトーラー、聖書、クルアーン、バガヴァッド・ギーター、仏教の法典あるいは孔子その他の教えを代替するものではない。普遍的倫理とは、最低限必要な共通の価値、基準および基本的態度をもたらすものである。換言すれば、教義はそれぞれ異なるものの、それはすべての宗教にも肯定され、無神論者にも支持されうる拘束力のある価値、普遍的基準および道徳的態度に関連する最小限の基本的合意である。


14.宗教史上初めて共通事項に関する最小限の基本的合意を明確にしたシカゴ宣言を肯定するにあたり、我々はすべての個人、社会、政治倫理に必要不可欠な二つの原理を提言する。


(1)人類はあまねく人間らしく扱われなければならない。

(2)自分が他人から望むことは自ら他人にもなす。


この宗規はあらゆる偉大な宗教的伝統の一部である。


15.この二つの原理を基本として、すべての宗教が合意し、我々も全面的に支持する不変の誓約が四つある。


  • ・非暴力と生命尊重の理念への誓約
  •  
  • 連帯と公正な経済秩序の理念への誓約
  •  
  • 寛容と誠実な生活の理念への誓約
  •  
  • 平等な権利と男女間のパートナーシップの理念への誓約


16.家族計画政策とその手段へのアプローチが各宗教間で異なることを認識したうえで、今日の人口動向は効果的な家族計画の追求を不可欠にしているということが合意された。いくつかの国々および宗教による積極的な経験は分かち合われるべきであり、家族計画に対する科学的調査もより一層推進されるべきである。


17.あらゆる段階における教育は、若い世代の心に普遍的な倫理価値を植え付ける重要な役割を担っている。小学校から大学まで、カリキュラムや講義には共通の普遍的価値を織り込み、自ら奉じている宗教以外の教えに対する理解を深めさせていくべきである。教育課程では「肯定的な寛容」という価値感を教え込み、カリキュラムの教材もそれにしたがって作成されるべきである。若い世代の将来への志を育むことに重きを置かなければならない。UNESCO、国連大学およびその他の国際機関は、この目的に向けて協力していくべきである。電子メディアの協力もとりつけるべきである。


18.我々は、国際緑十字と地球カウンシルが提起し、現在進行中の「地球憲章」制定への過程に留意する。我々はこの動きを持続可能な開発への転換に必要な政府・民間・市民社会などの価値観や姿勢態度の基本的変化への努力の、宗教界やその他のグループを巻き込んだ初めてのケースとして歓迎する。


19.生命の尊重は倫理的誓約の中核をなすことから、戦争や暴力による惨害との闘いを世界の再優先課題としなければならない。とりわけ早急に次の二つの問題に関心を寄せなければならない。(1)小型兵器、半自動・全自動兵器の取り引きは抑制されなければならず、このような兵器が簡単に入手されることがないようにしなければならない。(2)小型兵器と同様に、地雷も多数の無実の生命を奪ってきた。これは、カンボジア、ユーゴスラビア、アフリカ、アフガニスタンでとりわけ深刻な問題となっている。地雷の組織的除去と破壊は急を要する。



会議出席者リスト


インターアクション・カウンシル・メンバー

ヘルムート・シュミット、 議長

アンドリース・ファン・アフト

ピエール・エリオット・トルドー

ミゲル・デラマドリ・フルタド


専門家

A・A・マグラム・アル・ガムディ (ロンドン、キング・

ファハド・アカデミー学長)

荒木美智雄 (筑波大学教授)

シャンティ・アラム (インド、シャンテイ・アシュラム総長)

トーマス・アックスウォージー (カナダ、CRB財団理事長)

アブトリアヴァド・ファラトゥリ (ドイツ、ケルン大学教授、イスラム学アカデミー学長)

アナンダ・グレロ (元スリランカ控訴裁判所判事)

キム・キョンドン (韓国、ソウル大学教授)

ケーニッヒ枢機卿 (オーストリア・ウィーン)

ペーター・ランデスマン (オーストリア、ウィーン大学)

リュー・シャオ・フェン (香港、中国キリスト教学研究所学長)

L・M・シングヴィ (ロンドン、 インディア・ハウス高等弁務官)

マージョリー・スコッキ (アメリカ合衆国、クレアモント神学校学長)


ジャーナリスト

フローラ・ルイス (インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)


オブザーバー

山口シヅエ 元衆議院議員(日本)


人間の責任に関する世界宣言
―インターアクション・カウンシル専門家会議報告書


議長 ヘルムート・シュミット
オーストリア、ウィーン
1997年四4月20-22日


序言としてのコメント

「人間の責任について語る時がきた」

 世界経済のグローバリゼーションは多くの問題をグローバル化させている。グローバルな問題は、あらゆる文化と社会から遵守されなければならない理念、価値観、規範を基盤としたグローバルな解決策を強く求めている。すべての人々の平等かつ不可侵な権利の承認は、自由と正義と平和の基盤が前提となるが、それはまた、権利と責任とに同等の重要性が与えられ、すべての男女がともに平和に暮らし、持てる能力を十分に発揮できるような倫理的基盤を確立することも要求している。より良き社会秩序は、国内的にも国際的にも法令・法規や条約だけで達成できるものではなく、グローバルな倫理をこそ必要としている。発展への人類の希求は、いかなる時にも人々と制度に適用すべき、合意された価値観と基準によってのみ現実のものにできるのだ。

 来年は、国際連合が採択した「人類の権利に関する世界宣言」の50回目の記念の年にあたる。この記念の年は、世界人権宣言を補完し強化して、より良き世界に導く助けとなる「人間の責任に関する世界宣言」を採択するにふさわしい機会である。

 後述の人類の責任に関する草案は、自由と責任の間に均衡をもたらし、無関心の自由から関わり合う自由への移行を求めるものである。もしもある個人ないし政府が他者の犠牲をかえりみず自由を極限まで求めたら、多くの人々が苦しむことになる。もしも人類が地球の天然資源を収奪して彼らの自由を極限にまでしたら、将来の世代が苦しむ。

 「人間の責任に関する世界宣言」を起草する構想は、自由を責任と均衡させる方策であるだけでなく、過去を通じて敵対的なものと見なされてきたイデオロギー、信条および政治的見解を和解させる手段でもある。それは、権利のみへの固執は際限ない紛議と抗争に帰着しやすいこと、宗教的団体には自らの自由を主張するにあたって他の自由をも尊重する義務があることを指摘している。最大限可能な自由を目標としつつ、同時に自由そのものがさらに育つような最大限の責任感を生みだすことが、基本的前提であるべきである。インターアクション・カウンシル(通称OBサミット)は1987年以来、人類の責任に関する倫理基準の起草を進めてきた。しかしこの仕事は宗教界の指導者たちや、責任を負わぬ自由は自由そのものを滅ぼすが、権利と責任が均衡すれば自由は力を増してより良き世界が創りだされるだろう、と警告した古来の哲人たちの英知の上に築かれたものである。

 インターアクション・カウンシルは、以下の宣言草案を諸賢の検討に委ね、支持を請うものである。



「人間の責任に関する世界宣言」案


前文

 人間家族全員に備わっている本来の尊厳および平等かつ不可侵な権利を承認することは、世界における自由、正義、平和の基礎であり、義務ないし責任を示唆するものであるので、

 権利の排他的主張は、武力抗争、分裂および際限ない紛争に帰着する可能性があり、また人間の責任を無視することは、無法と無秩序を引き起こす可能性があるので、

 法の支配と人権の促進は、公正に行動するという男女の意思にかかるものであるので、

 地球的な諸問題は、あらゆる文化および社会によって尊重される理念、価値および規範によってのみ達成されうる地球的解決を要求しているので、

 すべての人々には、その知識と能力の限り、自国と地球全体においてより良い社会秩序を育成する責任があり、この目標は法律、規定および協約のみでは達成できないので、

進歩と改善への人間の願望は、いかなる時にもすべての人々と組織に適用すべく合意された価値および基準によってのみ実現されうるものであるので、

 よって、ここに、国際連合総会は、

 すべての個人および社会のすべての機関が、この人間の責任に関する宣言を念頭に置きながら、共同体の前進とそのすべての構成員の啓発に資するべく、あらゆる人々とあらゆる国々の共通の基準として、この宣言を公布する。かくて我ら世界の人々は、すでに世界人権宣言が宣明している誓約、すなわちあらゆる人々の尊厳、彼らの不可侵な自由と平等および彼ら相互の連帯の全面的認容を、改めて確認し強化するものである。これらの責任の自覚と認容は世界中で啓蒙され推進されなければならない。


人間性の基本原則

第1条

すべての人々は、性、人種、社会的地位、政治的見解、言語、年齢、国籍または宗教に関わらず、すべての人々を人道的に遇する責任を負っている。


第2条

何人も、いかなる形にせよ非人間的な行為に支持を与えてはならず、すべての人は他のすべての人々の尊厳と自尊のために努力する責任を負っている。


第3条

何人も、いかなる集団もしくは団体、国家、軍隊もしくは警察も、善悪を超越した存在ではない。すべてが倫理的規範の対象である。すべての人は、あらゆることにおいて善を推進し悪を避ける責任を負っている。


第4条

理性と良心を授けられたすべての人々は、各々と全員に対する、すなわち家族と地域社会に対する、人種、国家および宗教に対する責任を、連帯の精神によって受け入れなければならない。自分自身が他者からされたくないことは他者に対しても行ってはならない。


非暴力と生命の尊重

第5条

すべての人々は、生命を尊重する責任を負っている。何人にも、他の人間を傷つけ、拷問し、または殺す権利はない。これは、個人または地域社会の正当な自衛の権利を除外するものではない。


第6条

国家、集団または個人の間の抗争は、暴力を伴わずに解決されるべきである。いかなる政府も、集団虐殺またはテロリズムを黙認または加担してはならず、また戦争の手段として女性、児童またはその他のいかなる市民も虐待してはならない。すべての市民および公務員は、平和的、非暴力的に行動する責任を負っている。


第7条

すべての人々は限りなく尊く、無条件に保護されなければならない。動物および自然環境も保護を求めている。すべての人々は、現在生きている人々および将来の世代のために、空気、水および土壌を保護する責任を負っている。


正義と連帯

第8条

すべての人々は、高潔、誠実および公正に行動する責任を負っている。何人もまたいかなる集団も、他人または集団の財産を強奪し、または恣意的に収奪してはならない。


第9条

すべての人々は、必要な手段が与えられているならば、貧困、栄養失調、無知および不平等の克服に真剣に努力する責任を負っている。すべての人々に尊厳、自由、安全および正義を保証するために全世界で持続可能な開発を促進すべきである。


第10条

すべての人々は、勤勉な努力によって、自らの才能を開発する責任を負っている。人間は、教育および有意義な仕事への平等な機会を与えられるべきである。誰もが、困窮者、不遇者、障害者および差別被害者に支援を与えるべきである。


第11条

あらゆる財産と富は、正義に則し、人類の進歩のために責任を持って使われなければならない。経済的および政治的権力は、支配の道具としてではなく、経済的正義と社会的秩序に役立つように使われなければならない。


真実性と寛容性

第12条

すべての人々は、真実を語り誠実に行動する責任を負っている。何人も、その地位がいかに高くまたいかに権限が強大であっても、偽りを語ってはならない。プライバシーと個人的および職業上の秘密保持の権利は尊重されるべきである。何人にも、常にすべての真実をすべての人に話す義務はない。


第13条

いかなる政治家、公務員、実業界の指導者、科学者、文筆家または芸術家も一般的倫理基準から免責されず、顧客に対して特別な義務を負う医師、弁護士その他の専門職も同様である。職業その他の倫理規定は、真実性および公正性などの一般的基準の優先性を反映すべきである。


第14条

公衆に知らせ、社会制度および政府の行動を批判するメディアの自由は、公正な社会にとり不可欠であるが、責任と分別をもって行使されなければならない。メディアの自由は、正確で真実な報道への特別な責任を伴うものである。人間の人格または品位をおとしめる扇情的報道は、いかなる時も避けなければならない。


第15条

宗教的自由は保証されなければならないが、宗教の代表者は、異なる信条の宗派に対する偏見の表明および差別行為を避けるべき特別な責任を負っている。彼らは、憎悪、狂信および宗教戦争を煽りまたは正当化してはならず、むしろすべての人々の間に寛容と相互尊重を涵養すべきである。


相互尊敬とパートナーシップ

第16条

すべての男性とすべての女性は、そのパートナーシップにおいて尊敬と理解を示しあう責任を負っている。何人も、他人を性的搾取または隷属の対象としてはならない。むしろ性的パートナーは、相互の幸福に配慮する責任を認容すべきである。


第17条

あらゆる文化的および宗教的多様性の中で、結婚は愛情、忠実心および寛容を必要とするものであり、安全と相互扶助の保証を目指すべきである。


第18条

賢明な家族計画は、すべての夫婦の責任である。親と子の関係は、相互の愛情、尊敬、感謝および配慮を反映すべきである。いかなる親も他の成人も、児童を搾取し、酷使または虐待してはならない。


結論

第19条

本宣言のいかなる規定も、いずれかの国、集団または個人に対して本宣言および一九四八年の世界人権宣言に掲げる責任、権利および自由の破壊を目的とする活動に従事する、またはそのような目的を有する行為をする権利を認めるものと解釈されてはならない。

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人類の責任について語る時がきた

 インターアクション・カウンシルによる人類の責任に関する世界宣言の呼びかけは時宜にかなっている。私たちは伝統的にこれまで人権について語り、実際1948年に国連によって世界人権宣言が採択されて以来、世界は人権の国際的な承認と擁護に尽力してきた。しかし今、人類の義務を引き受けるという同様に重要な探求にとりかかる時が来ている。

 この人類の義務を新たに重視することが必要になった背景にはいくつかの理由がある。もちろん、この考えは世界のある地域においてのみ新しいということで、多くの社会は伝統的に人間関係を権利よりも義務の面で捉えてきている。例えば一般的に東洋の考え方がそうである。伝統的に西洋では少なくとも17世紀の啓蒙運動以来、自由と個人性の概念が強調されてきたのに対し、東洋では責任と共同体の観念が強かった。「人間の義務に関する世界宣言」ではなく、「世界人権宣言」が起草されたのは、周知のように起草者が第二次世界大戦の勝者となった西側諸国の代表者であり、そこに彼らの哲学的、文化的背景が反映されていることは疑いない。

 また人類の義務という概念は、自由と責任の均衡をはかってくれる。権利は自由と関わりがあり、義務は責任と関係がある。しかしこうした差違にもかかわらず、自由と責任は相互依存の関係にある。責任は道徳的資質として、自由を自然に自発的に抑制する。いかなる社会においても無制限な自由というものはありえない。したがって謳歌する自由が大きければ大きいほど、私たち自身に対して、また他の人々に対して負う責任も重くなる。また持てる能力が多ければ多いほど、それを最大限開発するという責任も増す。私たちは、無関心の自由から関わりの自由へと移行していかなければならない。

 そして逆も真実である。私たちの責任感が強まれば、道徳的特質を強化することによって私たちの内面的自由も拡大される。善と悪の選択肢も含めて多様の行動の可能性を自由が与えてくれる場合も、責任ある道徳的特質は善が勝つことを確実にする。

 しかし悲しいことに、この自由と責任の関係は必ずしも常に明瞭に理解されているわけではない。一部のイデオロギーにおいては個人的自由の観念が重要視され、また他方では、社会集団に対するコミットメントが絶対視されるイデオロギーもある。

 適正な均衡を欠く無制限の自由は、強制される社会的責任と同じぐらい危険である。極端な経済的自由と資本主義的強欲が深刻な社会的不正をもたらしてきた一方で、社会の利益ないし共産主義の理想という美名のもとに人々の基本的自由の酷薄な抑圧が正当化されてきた。

どちらの極端も望ましくない。東西間の紛争の消滅と冷戦の終了後、人類は自由と責任の望ましい均衡に近づきつつあるように思われる。私たちは自由と権利のために戦ってきた。責任と人間の義務を促進する時が来たのである。

 インターアクション・カウンシルは、世界経済のグローバル化は世界的諸問題のグローバル化と歩調を合わせていると考える。グローバルな相互依存性によって相互に調和の中で生きていくことを余儀なくされているために、人類は規則と制約を必要としている。倫理は集団生活を可能にする最低限の基準である。倫理とその結果である自己抑制なしには、人類は弱肉強食の世界に逆戻りしてしまうだろう。世界はその上によって立つことのできる倫理的基盤を必要としているのである。

 この必要を認識したからこそインターアクション・カウンシルは、1978年三月、ローマのラ・チビルタ・カトリカにおいて精神世界の指導者と政治指導者の会合を開き、普遍的な倫理基準の探求を始めたのである。そして一九九六年、カウンシルは再び世界の主要宗教の指導者および専門家によって構成された専門家会議の報告を要請し、同会議の報告書を同年五月のバンクーバー総会で歓迎した。この報告書は、世界の諸宗教において共通性が大であることを明らかにし、「世界人権宣言から50周年の1998年、国連は人類の義務についての宣言を検討する会議を招集し、権利について果たした初期の重要な任務を補完すべきである」という提言を行った。カウンシルはこの提言を支持した。

 人類の責任についての世界宣言を起草しようという動きは、自由と責任の均衡をとる方策であるのみでなく、過去には対立すると見なされてきた諸イデオロギーと政治的見解を和解させる方法でもある。したがって基本的前提は、人間には最大限の自由が許されるべきではあるが、その自由を正しく行使するために責任感も最大限に発達させなければならないということである。

 こうした考えは決して新しいものではない。数千年にわたり、預言者、聖者、賢者は人類が責任について真剣に考えるよう懇請してきた。今世紀では、例えばマハトマ・ガンディーが七つの社会的罪について説いている。


1 原則なき政治
2 道徳なき商業
3 労働なき富
4 人格なき教育
5 人間性なき科学
6 良心なき快楽
7 犠牲なき信仰


 グローバリゼーションは、ガンディーやその他の倫理指導者の教えを必要とする新たな緊急性をもたらした。テレビ画面上の暴力が衛星中継によって地球全体に伝達される。はるか遠隔の金融市場での投機が一地方の共同体を破壊することもできる。民間の実力者の影響力が政府の権力に近づき、しかも選挙による政治家と異なり、これら民間人の場合は本人の自覚以外に責任が問われない。人間の責任に関する宣言が世界で今日ほど必要とされた時はないのである。


権利から義務へ

 権利と義務は分かち難く関連していることから、人権という観念はすべての人がそれを尊重する義務を承認することによってのみ成立する。特定の社会の価値観に関わらず、人間関係というものは権利と義務の双方の存在に普遍的に基づいているのである。

 人間の行動を導くために複雑な倫理システムは必要ではない。いにしえの規則、すなわち黄金律が真に守られるならば、公正な人間関係は保持することができるのである。黄金律の否定文での表現は、「自分自身が他者からされたくないことを他者に対しても行うな」ということである。肯定文での表現をすると、「他人にしてもらいたいことを他人にせよ」となり、より積極的で連帯的役割を意味する。

 この黄金律を念頭におくと、人間の責任に関する世界宣言は人権を補完するために必要な主要義務を検討する上で理想的な出発点となることがわかる。


  • ・私たちに生命の権利があるとすれば、私たちには生命を尊重する義務がある。
  • 私たちに自由の権利があるとすれば、
  •  私たちには他者の自由を尊重する義務がある。
  • 私たちに安全への権利があるとすれば、
  •  私たちには全ての人間が人間的安全を謳歌できる条件を創出する義務がある。
  • 私たちに自国の政治過程に関わり、指導者を選挙する権利があるとすれば、
  •  私たちにはそれに参加し、最良の指導者を選ぶ義務がある。
  • 私たちに自分自身と家族のために一定水準の生活を得られるよう
  •  公正で好ましい条件の下で働く権利があるとすれば、
  •  私たちには自己能力の最善を尽くす義務がある。
  • 私たちに思想、良心、信仰の自由の権利があるとすれば、
  •  私たちには他者の思想や宗教上の原則を尊重する義務がある。
  • 私たちに教育を受ける権利があるとすれば、
  •  私たちには能力が許す限り学びさらに、
  •  可能ならば私たちの知識と経験を他者ともわかち合う義務がある。
  • 私たちに地球の恵みへの権利があるとすれば、
  •  私たちには地球とその天然資源を尊重し、配慮し、復活する義務がある。


人間として私たちには無限の自己実現の可能性がある。それゆえに私たちには肉体的、感情的、知的、そして精神的能力を最大限に開花させる義務がある。自己実現に向けての責任という観念の重要性は看過されてはならない。




 1997年4月にウィーンで開催された専門家会議は「人間の責任に関する世界宣言」の草案作業を行った。作業の結果については、三名の専門家、トーマス・アックスウォージー教授、キム・キョンドン教授およびハンス・キュング教授によってまとめられ、要約された。キュング教授は有益な議論の出発点となった第一次草案を提出してくれた。これら専門家はヘルムート・シュミット専門家会議議長ならびにアンドリース・ファン・アフト、ミゲル・デラマドリ・フルタドにさまざまな提言を行った。カウンシルのメンバーであるオスカー・アリアスは、同会議に不参加であったが、貴重かつ内容の濃い論文を提出してくれた。

 これらの作業の結果は、添付の「人間の責任に関する世界宣言」の国連提出草案に明らかである。専門家のグループは同封の宣言案を提出することを喜びとし、これがインターアクション・カウンシルおよび国際社会によってさらに討議されることを推奨する。



会議参加者リスト


インターアクション・カウンシル・メンバー

ヘルムート・シュミット

アンドリース・ファン・アフト

ミゲル・デラマドリ・フルタド


アドバイザー

ハンス・キュング(チュービンゲン大学)

トーマス・アックスウォージー(ハーバード大学)

キム・キョンドン(ソウル大学)


専門家

フランツ・ケーニッヒ(オーストリア、カトリック枢機卿)

ハッサン・ハナフィ(カイロ大学)

A・T・アリヤラトネ(スリランカ、サルヴォダヤ運動総裁)

ジェームス・H・オットリー(英国国教国連オブザーバー)

M・アラム(宗教と平和世界会議総裁、インド国会議員)

ジュリア・チン(トロント大学)

アンナマリー・アーガード(世界教会会議)

テリー・マクルーハン(著述家)

イェルス・キム(ユネスコ)

リチャード・ローティ(スタンフォード大学)

ピーター・ランデスマン(ザルツブルク、欧州科学アカデミー)

渡辺幸治(元駐ロシア日本大使)


ジャーナリスト

フローラ・ルイス(インターナショナル・ヘラルド・トリビューン)

ウー・セウンヨン(文化日報)


ジャカルタ宣言
―政治指導者と宗教指導者による声明


政治・宗教指導者ジャカルタ会議
2003年3月11・12日
インドネシア、ジャカルタ


分断に掛ける橋


声明

 インターアクション・カウンシルは、政治や実業界の指導者の道徳的価値や倫理基準に対して、1983年の創立当初より特に関心をいだいてきた。

 1987年にインターアクション・カウンシルは、平和・開発・人口と環境問題に関する宗教指導者との会合をローマで開催した。1996年のウィーンでの会議では、全ての宗教が受け入れられる普遍的倫理基準の探求に焦点を当てた。その結果、1997年に「人間の責任に関する世界宣言案」を起草した。カウンシルは、この宣言が受諾されるならば、世界人権宣言を強く補完しうると考えている。1999年のカイロ総会では、「中東戦争の宗教的意義」について議論している。

 ニューヨークとワシントンのおぞましく悲惨な襲撃以来、カウンシルは「テロへの報復戦争」が宗教間の紛争の拡大をもたらすのではないかと懸念してきた。

 その後のケニア、ロシア、インド、インドネシアにおける更なるテロ攻撃は、こうした懸念を一層強めた。
したがって、以下の考察に注目することが重要である。


1 現在の世界情勢、特に「テロへの報復戦争」や大量破壊兵器の拡散は、世界中に不安定をもたらし秩序を崩壊させうる。

2 一部のテロリストは、敵意や嫉妬のみに動機づけられているだろうが、その他のテロリストには世界全体ではなく、局地的に焦点を絞ったかなり特定の目標や目的がある。

3 一つの残念な現実は、テロの原因が特定の西側諸国の政策にあると考える人々がいることである。このような態度は、グローバル化した世界に参加する資源を持たないため、多数の国の人々がさらに取り残されてしまうという事実をも含めた、拡大する貧富の差という不平等感を、危機に直面する地域の人々が感じていることに起因している。国連の千年紀開発計画の精神と規範は、すべての人々に然るべき生活基準を保証するため、世界の金融、政治、道徳、制度上の資源を動員するという方向を示しており、それを実行に移すことが肝要である。

4 世界の民族国家間の戦略的・経済的公正と均衡は継続的な目標であるべきで、それは協力と相互理解、そして信頼の構築を通してのみ達成しうる。政策とはそうした目標に方向付けられるべきものである。

5 国連憲章第七章の下で、安全保障理事会が承認する直接的な自国防衛以外の攻撃は、国際平和と安全への脅威として国連が禁止しているが、この禁止自体が平和を促進するうえで大きな前進である。もしも今日、各国が一方的な先取攻撃主義を受け入れるならば、過去50年間の国際法促進の努力が泡に帰すこととなろう。


したがって、


1 我々は、宗教による暴力とテロリズムのいかなる正当化も強く拒絶するようすべての宗教指導者に呼びかける。

2 我々は、異宗教と異民族間の分断に橋渡しをすべく、積極的な行動をとること、議論と譲歩が結果を決定するという協力的な世界を確立すること、そして、世界の民族国家間の均衡をはかるために尽力することを、世界の指導者たちに強く訴える。

3 我々は、大国と小国を問わず全ての国家に対し、国連と共にまた国連、特に安全保障理事会を通して活動することが公正・均衡・平和を達成する最善の手段であることを訴える。

4 我々は、全ての宗教と人道的哲学が共有している人間的価値と基本的倫理基準の普遍性を認め、非暴力、生命の尊重、連帯、公正な経済秩序、寛容、誠実な人生、平等な権利と男女間のパートナーシップといった文化を発展させることを全ての国家に呼びかける。

5 我々は、あらゆる種類の宗教と政治的イデオロギーの中に過激主義を見出しうることを認識し、それが見出された場合たとえ国内であろうとも、そうした過激主義を糾弾しなければならないことを、全ての国家に呼びかける。

6 よって、我々は全ての国家指導者に対し、抑止力と理解力をもって過激主義のあらゆる行動を回避し、文明化した人間社会の存続に不可欠な共通の価値基準及び態度を容認することを、呼びかける。

7 そして我々は、全ての国家に対し、自国の内外を問わず、分断の橋渡しに尽力し、恣意性と差別に直面する場合、それに反対することを呼びかける。


 我々は、これらの目標と価値が普遍的で国境を超越する存在であることを強調する。今こそ「人間の責任に関する世界宣言」の精神を実行する時である。現在求められているものは、共存と人類発展のために必要な英知と具体的行動である。そして、普遍的倫理の二つの基本的原則を再び思い起さなければならない。すなわち、「全ての人間は、人間らしく扱われなければならない」という人道的原則であり、「自分自身が他者からされたくないことは他者に対しても行うな」という黄金律である。



参加者リスト


インターアクション・カウンシル・メンバー

1  H. E. Prime Minister Malcolm Fraser, Australia

2  H. E. Prime Minister Andreas van Agt, the Netherlands

3  H. E. President Bacharuddin Jusuf Habibie, Indonesia

4  H. E. President Jamil Mahuad, Ecuador


宗教指導者

5  Rev. Swami Agnivesh, India (Hindu)

6  Dr. Kamel Al-Sharif, Secretary-General International Islamic Council (Muslim)

7  Dr. A. T. Ariyaratne, President, Sarvodaya Shramadana Movement, Sri Lanka (Buddhist)

8  Archbishop. Francis P. Carroll, President, Australian Catholic Bishops Conference, Archbishop of Canberra and Goulburn, Australia (Catholic)

9  Rev Tim Costello, Baptist Church, Australia (Protestant)

10  Mr. James Jordan, Member of Archdiocesan Council, Australia (Greek Orthodox)

11  Prof. Lee Seung-hwan, Professor of Philosophy, Korea University, Korea (Confucian)

12  Prof. Dr. A. Syafii Maarif, the Chairman of Muhammadiyah, Indonesia (Muslim)

13  Mr. Rozy Munir, Chairman, Nahdlatul Ulama, Indonesia (Muslim)

14  KH Hasyim Muzadi, General Chairman, Nahdlatul Ulama, Indonesia (Muslim)

15  Rev. Dr. Konrad Raiser, Secretary General, World Council of Churches, Switzerland (Protestant)

16  Dr. David Rosen, International Director of Interreligious Affairs of the American Jewish Committee, U. S. A. (Jewish)

17  Drs. Rusli, SH. MM, Indonesian Buddhist Community Association, Indonesia (Buddhist)

18  Dr. Natan Setiabudi, Chairman, The Communion of Church in Indonesia, Indonesia (Protestant)

19  Rev. I. N. Suwandha SH, Chairman, the Indonesian Hindus Community Association, Indonesia (Hindu)

20  Prof. Dr. Din Syamsudin, Secretary General, The Indonesian Council of Ulamas, Indonesia (Muslim)

21  Pastor Alex Widjojo SJ, Roman Catholic Church of Jakarta, Indonesia (Catholic)


その他

22  Ms. Katherine Marshall, Director, Development Dialogue on Values and Ethics, World Bank, U. S. A.

23  Dr. SM Farid Mirbagheri, the Director of Research, the Centre for World Dialogue, Cyprus

24  Mr. Seiken Sugiura, Member of the House of Representative, Japan

25  Mr. Zhang Yi-jun, Vice Chairman of the Foreign Affairs Committee of the 9th National Committee of the Chinese People's Political Consultative Conference, China


学術アドバイザー

26  Prof. Thomas Axworthy, Executive Director, Historica Foundation, Canada

27  Prof. Nagao Hyodo, Professor, Tokyo Keizai University, Japan (Deputy Secretary-General of IAC)

28   Prof. Amin Saikal, Director, Centre for Arab and Islamic Studies, the Middle East and Central Asia, Australian National University, Australia


チュービンゲン報告書
―「国際政治における要因としての世界宗教」
に関する専門家会議報告書


議長 イングヴァー・カールソン
2007年5月7・8日
ドイツ、チュービンゲン


 インターアクション・カウンシルは、1987年の平和・開発・環境問題に関する議論以来、宗教指導者と政治指導者との対話に従事してきた。その後10年かけて、全ての主要宗教と哲学の学者たちが普遍的倫理基準の合意に至り、「人間の責任に関する世界宣言」を発表している。

 新世紀に入ってから、世界が直面する問題は一層複雑さを増した。宗教上の誤解が紛争を繰り広げ、地球温暖化は厳しい環境破壊という脅威をもたらし、テロリズムの増大が世界中に恐怖を拡散している。宗教は平和、正義、倫理基準を追求するひとつの勢力となり得るのだろうか。寛容(無知からではなく尊敬からの寛容)という美徳とは、教え得るものなのだろうか。各地域社会は、他の民族や国家の文化的・宗教的帰属意識を尊重すべき課題に対処できるのだろうか。世界は新たなグローバル共同体を認めることができるのだろうか。指導者たちは、希望を託せる具体的かつ建設的なアイディアを打ち出すことができるのだろうか。

近年における宗教の高まりにより、世界は第二の「アクシアル時代」(主要宗教・哲学の芽生えた紀元前の時代)に入りつつあるのかもしれない。この2007年5月7・8日に、インターアクション・カウンシルは世界的に著名な「グローバル倫理財団」の本拠地であるドイツのチュービンゲンで専門家会議を開催した。参加した宗教学者たちは存在の意義と政治における平和を模索する方法を議論し、考察した。


1.共通の基盤

 ユダヤ教は単一ではない。キリスト教もイスラム教も、仏教もヒンドゥー教も単一ではない。中国の諸宗教を構成するのも多数の信仰である。それぞれの主要宗教は、それぞれ内側に信仰、神学、確信の多様性を抱えている。

 宗教の内部的多様性を認識することの重要性は、広範に受け入れられつつあるものの、宗教間の共通性を認識することも同じく重要なのである。三つの一神教は、従来、対立し合っていると見なされてきた。今日、これらの三宗教を相互関係の中で見ることがかつてないほど重要となってきている。宗教間教育を通じてこうした目標は達成可能である。特に、宗教間対話は、「教える」のではなく「学ぶ」ことを期待して行われるべきである。

 本物の対話とは、慎重な教育を要する芸術であり、個人・地域・国家・国際レベルでの対話がもたらす利益を過小評価すべきではない。対話は説得のための戦術でもなく、改宗させるための戦略でもない。対話とは共有する価値観を通じて相互理解を生み出す方法なのである。他の人々の宗教や文化への理解を深めることは奨励されなければならず、広範かつ大雑把な一般化はやめさせるべきである。

 対話を通じて他の人々から学ぶ価値は、相互関係の精神の下で理解し得る。より広範囲には、我々の目標は「教える社会」として留まるのではなく、「学ぶ社会」に進むことであり、子供たちには世界の宗教の差異のみを教えるのではなく、共通性を教えなければならない。

 したがって、「人間の責任に関する世界宣言」はさらに重要性を増してきた。共通の普遍的倫理を認識することによって政治家、宗教学者、無神論者、不可知論者たちは相互理解を達成したのである。宗教の自由には、特定の宗教やイデオロギーを物理的にも道徳的にも強制されない権利を含んでいる。この普遍的倫理基準は、他の人々の信仰と道徳心を理解し、尊重する方策を示唆している。今回の専門家グループは、全ての主要宗教の指導者たちが受け入れた「人間の責任に関する世界宣言」を、全ての宗教に存在する共通の倫理基準を創出するものとして再確認した。


3.政治と宗教の関係

 各宗教間の共通要素を考察するうえで、専門家グループはまた、宗教が持つ政治へのかなりの影響力をも議論した。この政治と宗教の緊張した関係は、ある地域では世俗性が高まり、他の地域では宗教性が高まるという、世界で同時発生している相反する動きによって強調されてきた。ほとんどの指標では、西ヨーロッパで教会に定期的に通い礼拝に参加する人々は20%に減っている。対照的に米国では、人口の約65%が毎週教会に通っている。アラブ世界でもアジアでも同様に宗教性の高まりが見られる。

 宗教は、国民政治に建設的影響を多大に及ぼすこともあるが、しばしば人々の無知と不安感をあおって自らの権力を維持せんとする政治指導者たちによって搾取され悪用されてきた。無知と宗教と民族主義の組み合わせは、戦争を招く危険性を孕んでいる。この宗教と政治の強力なダイナミックスが、国際紛争に拍車をかけ、世界中の抑圧的政権を支持してきた。その中には、イラクとアフガニスタンにおける惨憺たる占領と泥沼化した戦争、抜け道のないイスラエル対パレスチナ紛争、スリランカにおける長期的内戦、タイにおける新たな紛争の可能性などが含まれている。

 現実的には、政治的決定が、まさに彼らが主張せんとしている宗教教義とは真っ向から対照的であることが多い。原理主義は特定の宗教の本質的な属性ではなく、多くの宗教の特徴である。我々が直面する課題は、宗教指導者たちが宗教運動の悪用を否定あるいは阻止し、政治的宣伝に走りやすい「宗教過激派」を隔離し、穏健な宗教運動を支持し、強化することである。


3.未来に向けて

 こうした複雑な問題にもかかわらず、専門家グループの多くは未来にいくらかの「希望の光」を見た。人間の威厳、権利そして責任という人間性にかかわる基盤は、世界に対して普遍的妥当性のある共通の倫理基準を提供している。

 この新たなグローバル共同体の時代において、我々は責任感のあるグローバル市民を必要としている。宗教指導者たちは、将来的には一層重要な役割を担うだろう。そのためには彼らは二つの言語に精通しなければならない。ひとつはそれぞれの教団内の信徒と共有する言語であり、もうひとつはグローバル市民の言語である。これにより、人種、文化、男女間の政治的、経済的、社会的平等という普遍的倫理に奉ずる機会がもたらされるのである。

 我々が直面している最大の問題のひとつに、将来の世代への環境保全がある。地球の生命にとってどの生物種も貴重であるが、毎日100以上の生物種が絶滅している。この点でも宗教指導者たちは、こうした地球的規模の挑戦に人々が挑みうる力を統合させる重要な役割を担っている。地球を守ろうとする努力に対して敏感になり、道徳的意義を与えることでそれはなし得る。我々は、地球を搾取する者ではなく地球に奉仕する者とならなくてはならない。

 この25年間に、宗教間対話は変化した。宗教間の相違が人間性を損ねるのではなく、宗教は人間性のなかに理想を見つけるよう人々を鼓舞すべきであるという認識が広まった。しかし、対話はまだ始まったばかりである。


4.提言

よりよい未来に向けて、専門家グループの議長は以下のことを提言する。


・「人間の責任に関する世界宣言」の説得力を再確認し、強化すること。
  この責任宣言を我々の住む時代背景に照らし合わせて考えること。
  人権擁護者との正真の対話を可能にするために、責任宣言で言及している
  正義、慈悲、礼節、調和といった中核的価値基準を強調すること。

全ての宗教には共通した倫理規範の中核があるという認識
  -画一性なき調和-を促進し、グローバル市民およびグローバル倫理基準を通じた
 共通の人間性を分かち合っているという意識を広めること。

自己実現への願望とグローバル共同体における義務感の間で
 実りある相互作用を促進するために、
 グローバル市民という概念とその実践を支持すること。

各宗教の信仰、価値観、習慣の多様性を認識し、
 寛容性、尊敬、相互照会と学習を高めるための
 宗教間教育を通じた行動計画を立案すること。

宗教の自由を支持すること。開放的かつ平和な自省的宗教運動を強化し、
 社会のあらゆる部門の指導者たちが宗教指導者と共に
 宗教の政治化と悪用を否定し阻止するよう奨励すること。

人類の存続への脅威を認識し、宗教の持つ影響力も動員して、
 将来の世代のために生命を尊重し、地球を守るという環境上の挑戦に立ち向かうこと。

文化的多様性と宗教界の複数性を保持しつつ、平和と団結を促進する道を見出すこと。



参加者リスト


インターアクション・カウンシル・メンバー

1  H. E. Mr. Helmut Schmidt, Honorary Chairman (Former Chancellor of Germany)

2  H. E. Mr. Malcolm Fraser, Honorary Chairman (Former Prime Minister of Australia)

3  H. E. Mr. Ingvar Carlsson, Co-chairman (Former Prime Minister of Sweden)

4  H. E. Mr. Abdelsalam Majali (Former Prime Minister of Jordan)

5  H. E. Mr. Franz Vranitzky (Former Chancellor of Austria)


専門家

6  Dr. A. Kamal Aboulmagd (Islam, Sunni), Attorney at Law (Egypt)

7  Dr. Kezevino Aram (Hindu), Director, Shanti Ashram (India)

8  Rev. Dr. Mettanando Bhikkhu (Theravada Buddhist), Special Advisor on the Buddhist Affairs to the World Conference of Religions for Peace (Thailand)

9  Prof. Hans Küng (Christian), Professor Emeritus, Tübingen University (Switzerland)

10  Prof. Karl-Josef Kuschel (Christian), Vice president of the Global Ethic Foundation (Germany)

11  Rabbi Jonathan Magonet (Judaism) Leo Baeck College (U. K.)

12  Archbishop Makarios of Kenya (Greek Orthodox)(Cyprus)

13  Dr. Stephan Schlensog, Hindu Expert, Secretary-General, Global Ethic Foundation (Germany)

14  Dr. Abdolkarim Soroush (Islam, Shia) (Iran)

15  Dr. Tu Weiming (Chinese religions and philosophies), Harvard University (China)

16  吉田 修、東洋大学教授(大乗仏教)


アドバイザー

17  Dr. Thomas Axworthy, Professor, Queenʼs University(Canada)

18  Dr. Gunther Gebhardt, The Global Ethic Foundation(Germany)

19  兵藤長雄、元ベルギー大使(IAC事務局次長)事務局長

20  宮崎 勇、元経済企画庁長官


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